2025年11月吟行2「鎌倉」

 2025年11月28日、「風の道」横浜支部主催の鎌倉吟行が行われました。
 小春日よりの暖かな一日となり、21人が集まり賑やかな楽しい吟行でした。
 10時に鎌倉駅に集合し、鶴岡八幡宮、宝戒寺、大巧寺等を巡ったのちに句会場の鎌倉市生涯学習センター「きらら鎌倉」へ。前泊の人は、高徳寺の大仏などを訪ねたことが出句でわかりました。
 世田谷支部、千葉支部、埼玉句会の人など、熱海や大宮といった遠方からの参加者も多く、久々の再会に話も弾みました。
 大成功の陰には入念の準備があったことでしょう。横浜支部の方々に心から感謝をし、夜の鎌倉にて解散となりました。ありがとうございました。

囲まれし三浦大根露天商 稜雨 (きらら鎌倉のピロティにて)
 

おくのほそ道(楡木へ)

 2025年11月26日、68歳の誕生日を記念して奥の細道を歩き継ぐ。
 今日は、壬生駅から楡木駅へ向かい、いよいよ鹿沼市に入る。
 壬生駅に慈覚大師円仁の故郷との看板がある。『入唐求法巡礼行記』が有名ではあるが、残念ながら読んではいない。
 比叡山延暦寺初代座主の義真は、最澄とともに唐に渡っているが最澄の直接の弟子ではない。
 義真亡き後、義真の指名した円修は座主になれず、最澄の弟子・円澄が第二代座主となる。このように延暦寺には最澄派と義真派の二つの勢力があり、円仁は最澄派のエースである。円仁によって叡山は密教を取り入れ大きく変貌する。いわゆる台密である。当時の密教の置かれた位置を考えれば必然の流れだったかもしれない。
 その円仁の生誕の地が奥の細道の道中にある壬生寺だという。芭蕉は何も触れていない。
 曾良の日記を確認すると、壬生について「壬生ヨリ楡木へ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有」と吉次の塚には触れている。
 壬生駅発10時35分、楡木駅着13時8分。次回は鹿沼止まりか。

※帰途、遅い昼食を取るために栃木駅下車。駅構内の街角ピアノで「One more time,One more chance」を弾く男性がいる。
 少しばかり聴かせていただき「ありがとう」と声をかけた。

2025年11月「風の道」御代田句会

 11月23日、長野県の御代田句会に参加しました。(実は、私は御代田町の準町民でもあります)
 朝7時すぎにわが家を出発。三郷から外環へ入り関越道へ。高坂SAで朝食、横川SAで休憩を取り、小諸ICを経由して小諸城址懐古園着が11時過ぎでした。大体4時間見ておけば御代田に行けそうです。
 現在の姿の小諸城が出来上がったのは天正十九年(1591年)と言われます。明治維新後、廃城となりましたが旧小諸藩士たちが資金を集め払い下げしてもらい公園化し「懐古園」と名付けました。
 御代田句会は13時からなので、紅葉の懐古園を散策し、途中の北国街道沿いの「やまへい」で胡桃蕎麦の昼食。美味しいお店なのでしょう、お客さんがいっぱいです。
 句会の方は、残念ながら写真を撮り忘れ様子をお見せ出来ません。何というドジでしょうか!
 句会の帰りには、御代田のベーカリー「ココラデ」で残っているパンを買い占め(ここのパンが本格的で美味しいのです)、それをかじりつつ帰路へ。
 句会報告と云うよりも、長野県・御代田町の「食レポ」のようになってしまいましたね。
 帰路の関越道の事故渋滞は想定外でしたが、実に充実した一日でした。(帰宅20時半)

※写真は懐古園の地獄谷と小諸城石垣です。

2025年11月吟行1「伊賀上野」

2025年11月9日、10日に、三重県上野市にて1泊吟行を行いました。
伊賀上野は、松尾芭蕉の故郷です。9日はあいにくの雨でしたが、昼に上野シティホテルに集まった「風の道」会員は、元気に芭蕉の生家、芭蕉記念館、蓑虫庵などを回りました。
夜は、遅れて参加する仲間を迎えて「田楽座わかや」で和やかに懇親会を行いました。
明けて10日、芭蕉五庵のなかで唯一現存している服部土芳の開いた蓑虫庵をお借りして句会を開催。
岡田栄氏の芭蕉の考察を楽しく伺い、皆そろっての会食に舌つづみを打ち、有意義かつ思い出に残る吟行会となりました。
なお、芭蕉顕彰会の植田美由喜事務局長にはさまざまなご配慮をいただき無事吟行会が開催出来ましたことを心から感謝いたします。
本当に有難うございました。

時雨傘閉づくるぶしに伊賀の土