「武蔵野探勝を歩く」を書き始めるにあたって
私(藤井稜雨)の所属する俳句結社「風の道」が、ある年の総会を宮城県白石市で開催しました。
その折、たまたま大先輩である故山本柊花さんと故森田虚逸さんとの会話が耳に飛び込んできました。
「山本さん、高濱虚子の『武蔵野探勝』ってご存じですか」
「知っているよ」
「あれは面白い本ですね。ちょうど百話あるんで、私は毎日寝る前に一話ずつ読んでいるんですよ」
「ああ、それはいいね。」
私が『武蔵野探勝』という言葉を初めて耳にしたのはこのときでした。
後に、知ることになるのですが、柊花さんのお父上の山本薊花さんは武蔵野探勝の常連でした。
また、虚逸さんはその後、武蔵野探勝の吟行地の一つである普済寺に永眠されました。
さて、早速私は友人の亀田潔(古書店主)君に『武蔵野探勝』の入手を依頼しました。
『武蔵野探勝』の魅力に取りつかれてしまった私にとって、『武蔵野探勝』の「今」を調べることが、ライフワークになっていったことも自然の成り行きでした。
さらに私は、調査で訪れた流山市教育委員会で新たな事実を知りました。
それは、平成初期に『武蔵野探勝』を熱心に調査し、その場所を特定し、実際に百回の吟行を行った『籐椅子会』の存在でした。
私は、すぐに籐椅子会の会員の方々を探し始め、ようやくお一人だけ探し当てることができ、品川駅近くのお自宅を訪問しました。
その方は、吟行の楽しい思い出をお話しして下さいましたが、驚いたことに、その方の甥御さんと私は、俳句とは関係なく仕事上での知り合いだったのです。誠に不思議なご縁を感じました。
籐椅子会の方々が武蔵野探勝の地を訪ね歩いてから、さらに数十年を経て、私もそれら吟行地を訪ね始めました。
100回の吟行全ては無理かもしれませんが、これから随時、書き続ける努力をしていこうと思います。
そして、この拙ブログを読んだどなたかが、私以上に『武蔵野探勝』に魅力を感じて下さればとひそかに願っています。(藤井稜雨)