2025年12月「荻窪吟行」

 2025年12月12日10時に荻窪駅南口改札前に集合し、荻外荘公園、太田黒公園、角川庭園の荻窪三庭園を吟行しました。ただ、時間の関係で参加者全員が三つは回れず、2庭園巡りとなったのは残念でした。
 それでもどの庭園も素晴らしく、特に荻外荘は建物の内部も見ごたえがあり、じっくり見て回るべくもう一度訪ねたいという希望が多々ありました。
 「風の道」としては、これまでも角川源義邸をお借りして数回吟行を行ってはいますが、また近いうちに角川邸にて句会を開催したいと思いました。
 荻外荘ではガイドの方の説明を聞きながら玄関や客間、そして「恭黙思道」の扁額のかかった書斎などを見学し、先の大戦への思いを深くしました。
 太田黒公園では、見事な銀杏並木の道を抜け、ゆるい傾斜の広々とした庭を歩き、錦鯉の泳ぐ池を回り、古きスタンウェイピアノのある暖炉の間を見学しました。
 その後、句会場のある桃井4丁目へ移動しました。
 木枯しの寒い一日でしたが、ほとんど気にならず楽しい吟行会となりました。
 担当の方々、ご案内に歩いて下さった方々に心から感謝いたします。ありがとうございました。

2025年12月「東漸寺」の冬紅葉

 わが家の隣地、東漸寺さんの紅葉が見事です。
 私が小さかったころと違って、最近は雪が降らなくなりましたが、東漸寺の雪景色も感動的です。
 春は桜、秋は紅葉、冬は雪、そして私の最も好きな初夏の新緑は、身も心もみるみる緑に染まっていくような錯覚すら覚えます。
 亡くなった私の母は、子ども時代に友達と踊りの稽古をしていて、その帰り道に東漸寺の墓地で人魂を見たという話をしてくれました。
 小学生の私は、人魂を見たくて見たくてたまらず、何度も夜の墓地に行ってみました。
 最初のうちは、板倉さんの書道塾の帰りに友達を誘って見に行こうと思っていましたが、どうしても誰もついて来てくれず、結局私一人で石畳の参道を歩き墓地へ向かいました。
  残念ながら人魂のほうは出会うことはなく、今日に至っております。
 まあ、そんなことも子どもだから許されたということでしょう。
 話が変な方向へ行ってしまいましたが、人魂はともかくとして、私にとってなくてはならない有難い散歩道です。

2025年12月「風の道」同人句会

 2025年12月6日(土)、「風の道」としては初めて俳人協会・俳句文学館の地下ホールをお借りして句会を開催しました。
 本年最後の同人句会には22人が集まり、初めての会場で気分も新たに賑やかな句会となりました。
 また、終了後は明年1月17日に開催される「新春恒例俳句大会」の最終打合せを実行委員会のメンバーで協議しました。
 協議の中で、来年からの会計監査として、佐野博子さん(世田谷支部長)、と永野宙さん(銀座本部句会長)のお二人を選出させていただき、お二人とも快く引き受けいただきました。
 句会後は、有志が新大久保の街に繰り出しましたが、ここ数年間(?)での街の変貌ぶりに驚かされるばかりでした。

2025年12月国際俳句協会俳句大会

 2025年12月1日、アルカディア市ヶ谷にて、第27回国際俳句協会俳句大会が開催されました。
 「風の道」からは、古郡孝之さんの作品「長江の男盛りの雲の峰」が「俳句のまちあらかわ賞」を受賞、また佐藤みちゑさん、高杉桂子さん、渡邉美奈子さん、小松萌さん、杉﨑邦子さん、菊池恵海さんが特選、入選されました。大変おめでとうございます。

 写真は、能村研三俳人協会理事長から表彰状を授与される孝之さん。
 なお、表彰式の後は、ロバート・キャンベルさんの講演を伺いました。

2025年11月吟行2「鎌倉」

 2025年11月28日、「風の道」横浜支部主催の鎌倉吟行が行われました。
 小春日よりの暖かな一日となり、21人が集まり賑やかな楽しい吟行でした。
 10時に鎌倉駅に集合し、鶴岡八幡宮、宝戒寺、大巧寺等を巡ったのちに句会場の鎌倉市生涯学習センター「きらら鎌倉」へ。前泊の人は、高徳寺の大仏などを訪ねたことが出句でわかりました。
 世田谷支部、千葉支部、埼玉句会の人など、熱海や大宮といった遠方からの参加者も多く、久々の再会に話も弾みました。
 大成功の陰には入念の準備があったことでしょう。横浜支部の方々に心から感謝をし、夜の鎌倉にて解散となりました。ありがとうございました。

囲まれし三浦大根露天商 稜雨 (きらら鎌倉のピロティにて)
 

おくのほそ道(楡木へ)

 2025年11月26日、68歳の誕生日を記念して奥の細道を歩き継ぐ。
 今日は、壬生駅から楡木駅へ向かい、いよいよ鹿沼市に入る。
 壬生駅に慈覚大師円仁の故郷との看板がある。『入唐求法巡礼行記』が有名ではあるが、残念ながら読んではいない。
 比叡山延暦寺初代座主の義真は、最澄とともに唐に渡っているが最澄の直接の弟子ではない。
 義真亡き後、義真の指名した円修は座主になれず、最澄の弟子・円澄が第二代座主となる。このように延暦寺には最澄派と義真派の二つの勢力があり、円仁は最澄派のエースである。円仁によって叡山は密教を取り入れ大きく変貌する。いわゆる台密である。当時の密教の置かれた位置を考えれば必然の流れだったかもしれない。
 その円仁の生誕の地が奥の細道の道中にある壬生寺だという。芭蕉は何も触れていない。
 曾良の日記を確認すると、壬生について「壬生ヨリ楡木へ二リ。ミブヨリ半道バカリ行テ、吉次ガ塚、右ノ方廿間バカリ畠中ニ有」と吉次の塚には触れている。
 壬生駅発10時35分、楡木駅着13時8分。次回は鹿沼止まりか。

※帰途、遅い昼食を取るために栃木駅下車。駅構内の街角ピアノで「One more time,One more chance」を弾く男性がいる。
 少しばかり聴かせていただき「ありがとう」と声をかけた。

2025年11月「風の道」御代田句会

 11月23日、長野県の御代田句会に参加しました。(実は、私は御代田町の準町民でもあります)
 朝7時すぎにわが家を出発。三郷から外環へ入り関越道へ。高坂SAで朝食、横川SAで休憩を取り、小諸ICを経由して小諸城址懐古園着が11時過ぎでした。大体4時間見ておけば御代田に行けそうです。
 現在の姿の小諸城が出来上がったのは天正十九年(1591年)と言われます。明治維新後、廃城となりましたが旧小諸藩士たちが資金を集め払い下げしてもらい公園化し「懐古園」と名付けました。
 御代田句会は13時からなので、紅葉の懐古園を散策し、途中の北国街道沿いの「やまへい」で胡桃蕎麦の昼食。美味しいお店なのでしょう、お客さんがいっぱいです。
 句会の方は、残念ながら写真を撮り忘れ様子をお見せ出来ません。何というドジでしょうか!
 句会の帰りには、御代田のベーカリー「ココラデ」で残っているパンを買い占め(ここのパンが本格的で美味しいのです)、それをかじりつつ帰路へ。
 句会報告と云うよりも、長野県・御代田町の「食レポ」のようになってしまいましたね。
 帰路の関越道の事故渋滞は想定外でしたが、実に充実した一日でした。(帰宅20時半)

※写真は懐古園の地獄谷と小諸城石垣です。

2025年11月吟行1「伊賀上野」

2025年11月9日、10日に、三重県上野市にて1泊吟行を行いました。
伊賀上野は、松尾芭蕉の故郷です。9日はあいにくの雨でしたが、昼に上野シティホテルに集まった「風の道」会員は、元気に芭蕉の生家、芭蕉記念館、蓑虫庵などを回りました。
夜は、遅れて参加する仲間を迎えて「田楽座わかや」で和やかに懇親会を行いました。
明けて10日、芭蕉五庵のなかで唯一現存している服部土芳の開いた蓑虫庵をお借りして句会を開催。
岡田栄氏の芭蕉の考察を楽しく伺い、皆そろっての会食に舌つづみを打ち、有意義かつ思い出に残る吟行会となりました。
なお、芭蕉顕彰会の植田美由喜事務局長にはさまざまなご配慮をいただき無事吟行会が開催出来ましたことを心から感謝いたします。
本当に有難うございました。

時雨傘閉づくるぶしに伊賀の土

2025年10月吟行「夢の島公園」



2025年10月24日(金)、新木場の都立「夢の島公園」にて10月の吟行を行いました。
天気予報は晴れのはずが、曇り。秋晴という訳にはいきませんでしたが、新木場駅改札に紀代子、喜代子、惠海、ひとみ、みはる、由美子、(ヒ)洋子の諸氏と私・稜雨の8人が集合。その後、園内で孝之さんと合流。
まずは、第五福竜丸の見学に向かいました。係りの方の説明を熱心に聞き、句作も進んだ模様。その後、マリーナへ向かう人、まぐろ塚に見入る人、熱帯植物館へ向かう人など思い思いに吟行。
お昼は、スポーツ文化館内のレストランで食事。食事中も歳時記や句帳としきりに対話を重ねていました。

「ブラボー」と名付く水爆冷まじや 
 

2025年10月 国立能楽堂

 10月22日、国立能楽堂の見学をさせていただきました。
 能の舞台に上がらせていただいたのも初めて、楽屋に入らせていただいたのも初めて。
 解説も楽しく、貴重な体験でした。ありがとうございました。
※写真は、幕が開きいよいよ舞台の(シテ柱)へ向かって踏み出すところです。